想いと祈りと。

 

 

物心ついた時から、爪を噛む癖があった。

噛むどころか食いちぎるくらいの勢いで。笑。

 

テレビや映画や漫画や本や舞台や、何かに夢中になると、永遠に爪を噛んだ。

 

決して、所謂、愛に飢えてたとか淋しかったとかストレスがあったとか、そんなんじゃ全然なくて。そんな大層な立派な理由などなくて。笑。なにかのきっかけでうっかり癖になったものがずっとついてきただけのことだと思う。笑。

 

いつも、いつだって、指先が血で滲んでいて痛かったけれど、どうしてかもうそれを自分は受け入れていたし、だけどどんな時だって誰かに手を見られるのが怖かったし嫌だったしとんでもないコンプレックスだった。笑。

 

亡き母は、最初のうち、幼いわたしの全ての指先にカラシを塗ったりワサビを塗ったり、10枚のバンドエイドを巻いたりして、とてもとても頑張ってくれた。笑。当時は嫌で嫌で仕方なかったけれど、今となっては、愛おしい娘のためにできることを一生懸命やってくれてたんだなぁとわかる。とてもわかる。心が痛かったよね。ごめんねお母さん。ごめん。

 

それから大きくなっていく過程で色んな人に説教された。みっともないとか、汚いとか、病気だとか、どうして直らないんだとか、ばい菌が入って大変なことになるよとか、小さな子供から飛んでくる無邪気な「おててどおしたの?」とか。

 

その度にそれなりに傷ついて落ち込んで泣いた。試せることは全部やったし、やめられても数日で、全然続かなくて、こんなもんこちとらやめれるもんならとっくにやめてんだと思う反面、自分の甘えだったり弱さだったりすることもしっかりわかっていた。

 

大人になってから出逢えた友人は、たった1人唯一、「これは病気なので」というわたしに「病気にならないために噛んでんだ。それでいい。そのままでいい。」と言った。

 

煌びやかな世界で夢を追いかけてた頃も、破れて仕方なくやりたくもない仕事をしていた頃も、その後たどり着いた世界で、毎日バリバリ働いてお金稼いで好きなことやりたいことをやれるようになった頃にも、ずっと指先は血が滲んでいた。

 

綺麗なネイル塗って指輪をつけて吊り革を持つ手も、カバンを持つ手も、スタバのコーヒーを持つ手も、好きな人と繋ぐ手も、わたしにはなかった。

 

ボロボロの手に結婚指輪をはめてくれたオットはすごいな。笑。今思えばなんだか申し訳なかったな。笑。

 

2018年。愛犬の骨壷抱えて世界の全てに絶望して真っ暗闇で血が出るほどに爪噛んでたわたしの前に現れた紫耀くんは優しくて強くて眩しくて、ずいぶんと大人になってしまっていたわたしの人生をどんどん変えていった。

 

毎日楽しくて嬉しくてこんなに幸せでどうしようと思った。そのテンションとか温度とかスピードとか、自分で自分が怖いくらいだった。

 

世の中が変わって仕事も生活も変わって、友達にも逢えなくなって、たったひとり、家の中で紫耀くんを見つめる日々だった。ますます爪を噛んだ。笑。ますます血が出て、痛かった。心が痛くて、苦しかった。頭がぼんやりして、手足が冷たくて、だけど、紫耀くんだけが変わらずいつもそこにいてくれた。

 

母がいなくなって、祖父母がいなくなって、愛犬がいなくなって、ダイニングテーブルを囲んでいたひとたちが少しずつみんないなくなって、当たり前にあった家族の形がどんどん変わっていって、この急展開に頭がついていかなくて、また爪を噛んだ。

 

6月。どうしても紫耀くんに逢いたかった。限界だった。笑。遠くからでいい。ひとめ、逢いたかった。生きている紫耀くんに逢いたかった。笑ってる紫耀くんに逢いたかった。

 

それは、あまりにも病んだわたしの思いつきで始まったこと。笑。

 

紫耀くんに逢いたい。逢いたい。なにかひとつ成し遂げたならきっと逢える。

 

「爪を噛むわたし」を封印しよう。

 

人生半分過ぎたあたりで今更どうしたんだと思ったけれど、ずっと苦しかったことと別れられたらまた新しいところにいける気がした。

 

ずいぶん長い時間、痛々しい姿で一緒にいてくれたわたしの両手の爪たちにごめんねと謝った。

 

北海道へ向かう飛行機の中で。伸びた爪をメンカラに塗ってピンクゴールドの細い指輪をつけた自分の手を見つめながらおいおい泣くおばちゃんを見てみんなきっと怖かったと思う。笑。

 

今、休日の前の日。友達と会う前夜。どんな色のネイルにしようかなって考えるのが、本当に楽しくて心が震える。アクセサリー屋さんでずっと欲しかった指輪を眺めてたっぷり時間をかけて選ぶのが本当に楽しい。

 

初めて手の爪に爪切りを使った。床に落ちた10円玉を拾うのに困らなくなった。オットが背中掻くのに孫の手使わなくなった。鍵をキーホルダーにつけれるようになった。ピノのビニールとるのが早くなった。湿布のビニールもすぐとれるようになった。甥っ子と折り紙折るのが楽しみになった。スマホをいじる手が誇らしくてたまらない。(シワシワだけどそれは今ちょっとおいといて)

 

毎日がふわっと軽くなった。

今まで知らなかった気持ちを知る。

 

紫耀くんとは、永遠に絶対に交わらない世界線で、世界線のはしっこのほうで、紫耀くんによってわたしの毎日はまだまだこんなふうに変わってゆく。紫耀くんは知りもしない。紫耀くんが不安になっても寂しくなってもわたしは何もできない。なんにもしてあげられないのに、いつだって与えてもらうばっかりで悲しい。

 

それでも、紫耀くんはあまりにも希望で、明日を生きる力で、それはきっと、紫耀くんが見えるところにいてくれる限り続いていく。そして、もしも紫耀くんが見えなくなっても私の人生は続いていく。

 

心許したひとにだけ見せる顔も、困ってる顔も、ちょっと寂しそうな顔も、眠たい顔も、お腹空いた顔も、全部知ってるけれど、きっとそれは紫耀くんの中の3%くらいで(なんの根拠もないけど)わたしはなーんにも知らない。だから。祈るしかない。

 

紫耀くんのことを好きなひとたちがずっと紫耀くんのそばにいてくれますように。紫耀くんの夢や願いを一緒に叶えてくれますように。もう、ほかに叶えたいことなんてないから。私が持ってる祈りだとか願いだとかそのへんのアレは全部紫耀くんにあげる。

 

全身全霊で祈る。

 

どうか。心身ともに。健やかでいて欲しい。

健やかでなくなる時にはたくさん眠って欲しい。自分の好きなひとと一緒にいて欲しい。心のままに生きて欲しい。幸せな気持ちでいて欲しい。

 

もはや、もう、それしかない。

 

そして。タイムラインにいるわたしの大好きなひとたちが、変わらずに重たくポップでユーモア溢れる素敵な言葉を紡いでくれることが、どれだけわたしの毎日を照らしてくれているかを叫びたくなる。

 

理不尽もやるせなさも割と間髪入れずに襲ってくる日々だけれど、迷ったり落ち込んだり打ちのめされたりしながら、きっとみんなそうだよなKing&Princeに力もらってきっとみんな踏ん張ってるよなって思えるからがんばれるよ。本当にありがとう。(突然のお礼)

 

紫耀くんがどんなふうに25歳を生きるのかものすごく楽しみだし、それをそっと遠くから見守らせてもらえたらそっと見届けられたら、きっとわたしの1年もまた幸せで明るいんだろうなと心が躍る。

 

毎日、心と体と魂を削りながら、幾つもの取捨選択をしながら、嬉しかったり悲しかったり楽しかったり諦めたりしながら、そこに立ち続けてくれてありがとう。離れないで欲しい好きでいて欲しいと望んでくれる限り、ずっとここにいるよ。紫耀くんを想いながらみんなで楽しく愉快にワイワイ応援していたいよ。

 

今、心からそう想うよ。

 

死なないよ。生きるよ。