記憶の記録。

本当に。まもなく。

始まるんだな…いよいよ。

 

これは記憶の記録。

忘れてしまわないように。

 

私は24時間テレビが好きじゃなかったずっと。

 

好きなアイドルたちがメインパーソナリティをやり始めた頃からはなんだかんだ毎年ちゃっかり観てたのに、やっぱりどうしても好きになれなかった。

 

ラソン走ってくれたり歌を歌ってくれたり山登ったり海で泳いだり色んな企画やってくれたけど、どうしても好きじゃなかった。

 

誤解を恐れずに言うならば。

 

このひとこんなにがんばってるんだから私はもっとがんばらなくちゃとか、このひとこんなに辛い目にあったんだ私はまだまだマシな方だなとか、こんなふうにプライベートを世間に晒されて本当にこのひとが望んだことなんだろうかとか、たかだか100円や千円の個人の募金で何ができるわけでもないだろうし私がやらなくても誰かがやるだろうしそもそもこのお金はどこに消えてるんだろちゃんと使われるべき所で使われてるんだろうか。

 

などなど、人間として非常に気持ちの悪い考え方しかできない私がいた。ずっと。もちろん観てれば応援はしたくなったし涙もでたし、元気になったりもしたけど、なんかやっぱりどっかであんまり好きじゃなかった。

 

母が病に倒れてからずっと、3年間は仕事と母のお世話とで家と病院を行ったり来たりの日々で、時々本当に爆発してしまうこともあったけれど、この歳になるまで知らなかったことをたくさん知ることになった。

 

最後の1年は病院を3回移った。

 

母が、とんでもなく頑張り屋さんだった為に。医師から告げられる余命をことごとく超えていくから、3ヶ月のつもりで面倒見ますよと言ってくれた病院から、思ったより長くなってるのでこれ以上は置いとけませんから他へ転院してくださいと言われてしまうのだ。笑。

 

急性医療の病院なんかは本当にそうで、それはそうで、すぐに治療して元気になって出て行くひとしかいないような所には、治る見込みのないひとを看取るシステムがない。だから、母の治りたい生きたい治療を受けたいという希望を尊重する為にホスピスではないだけど最後まで診てくれるところを探して探して探すしかない。さすがの母も、見捨てられたもう終わりなのかと感じさせる3回の転院は相当こたえたらしくみるみるうちにどんどん弱っていった。

 

この仕組みについては色々と言いたいことがあるけど、だけどきっとそうしなくちゃ機能しない社会なんだろうから仕方ないかとも思う。まぁ諦めだけど。

 

その転院の時に。

玄関に横付けされたとてもとても立派なワゴン車。所有する施設の名前が書いてある、車椅子ごと乗っけてもらえるすんごい車。

 

母も私もまだ冗談が言えるころで、いや、冗談言わなきゃやってられないころで、運転してくださる方に「これすんごいですねぇ。いくらするんですか?とんでもなくお高いのでは?あははー」くらいにぶちかましてやったところ返ってきたお返事が、「これ、アレですわ!ほら!24時間テレビの募金でいただいた車なんです!」

 

は?え?ほんと?ほんとに!

 

ここまできて初めて、24時間テレビに実際に自分が助けられて支えられて心の底から感謝したわけだ。

 

もう自力では歩けず、抱き抱えて移動なんて素人では到底できず、車椅子ごと運んでもらわなきゃ移動なんてできなかった。転院の時も、最後に自宅に連れ帰った時も、この車にお世話になった。もちろんお金を払って運転してもらうことにはなるけれど、それでも、この車がなかったら本当に本当にとんでもなくしんどかったと思う。

 

車椅子ごと車に乗っけてもらった母は嬉しそうで、車窓から見える桜の大木は「母と一緒に見る桜はこれで最後だぞ見納めだぞ」と言わんばかりの忘れがたい迫力だった。お母さん見て!桜きれいだよ!って言うのが精一杯だったけれど桜吹雪をじっと見つめてる母の顔が忘れられない。

 

 

やっと。初めて。

キラキラのアイドルたちがあの番組をやることでたくさんの募金が集まってそのお金がそれなりにちゃんと届くべきところに届いて、使われるべき所で誰かを助けてるんだって知った。遅すぎたけど。笑。

 

確固たる理由をもって、あの番組が嫌いならそれはそれでいいと思う。価値観や好みや温度は人それぞれでもちろんいい。

 

私みたいにただなんとなく嫌いだなぁとか、なんの意味があるんだろとか思うひと、あとひたすらよくわかんないけどアンチなひと、それもそれでいいと思う。

 

だけど。知らないだけで。

どこかの誰かは助けられて支えられて救われて元気付けられて背中を押されてる。自分が知らないだけで。

 

実際にありがたさを体験してしまったら、自分の好きな人たちがその番組のメインパーソナリティを任されたなら、どうしても応援したくなってしまう。母が病気になる前の自分には説教したい。

 

無理に合わせたり比べたり流されたりする必要は全くないけれど、やっぱり、自分だけの物差しなんて怖いだけだなって思った。知らないことも怖い。知ることも怖いけど。

 

24時間経って5人がどんな顔してるのか、今から想像してすでに涙出てきちゃうけど、5人の中の何かが変わるだろうし生まれるだろうしスタートするだろうなと思うから、この先あるかわからない一度きりかもしれない大役を務める大好きたちをしっかり目をかっぽじって見届けたい。

 

あたしは夏休みをとりました。

 

休暇申請「かぐや様初日と24時間テレビを見届ける為」

 

楽しんでおいでーと送り出してくれたたった1人の上司には、足向けて寝れない。

さくら色のひと

 

初めて逢った日のことを鮮明に覚えている。

 

誰よりも綺麗で透き通って見えて、私のことなんか見向きもしないで、必死にぎゅうぎゅう詰めの客席の中からピンク色を探して手を振っていた。自分のことを好きだと言ってくれる人を、自分のことを応援してくれてる人を探して、必死にキスを投げていた。誰も見逃さないぞって誰のことも全部全部抱きしめるぞって気迫さえ感じたし、どこか刹那的でだけど静かに燃えてる火みたいで、目が離せなかった。

 

最後に逢ったのはお休みする直前のNHKホールで震えながらKPQPを歌ってたあの日だ。なにも知らない私は呑気に、ぷりぷりしちゃって今日もかわいいなぁ、なんなら今日は特別に綺麗だなぁ、などと思って見つめていた。

 

どれだけ悲しいかなんて、言葉にできない。

 

悲しくて悲しくてたまらない。

 

誰よりも真面目に誰よりも努力して誰よりもアイドルなりたかった彼から、なぜ奪うのだろう。どうして奪われるのだろう。

 

どれだけ悲しいだろうどれだけ悔しいだろうどれだけ色んなことを恨んだだろう。

 

きっとあの儚い笑顔の裏でたくさんたくさん歯を食いしばってたよね。

 

 

誤解を恐れずに言うならば。

 

心の中で半分。こうなるだろうと思っていた。覚悟をしておかなければと。いつかやってくるその日を覚悟しておかなければと。場所を空けてくれたりピンクの照明を使ってくれたりピンクの衣装を着てくれたり、大丈夫大丈夫と伝えてくれる度に、こんな日が来ることをどこかで予感していた。

 

だけど、残りの半分はもしかしたらと思っていた。もしかしたら。どんどんよくなっていって追いつけ追いこせでたくさんたくさん踊っているかもしれない。見えないところで少しずつ動き出してるかもしれない。いつの日か仲良したちとみんなで、よかったね嬉しいな待ってたよおかえりと言えるかもしれない。そう思ってた。

 

担当じゃないなら黙っていてとは言わせない。私だって大好きだった。本当に本当に大好きだった。なんで過去形なんだ。違う。今だって大好きなんだ。嫌だ嫌だ嫌だ。お別れなんてしたくない。全然嫌だ。どうにもならない。

 

だけど。大好きだから。もういいよと手を離さなくちゃいけないんだきっと。力の限りみんなが待ってる場所へ戻ろうとがんばってくれたんだ。ありがとうと手を離さなくちゃいけない。いつまでも掴んでいたら歩き出せない。

 

やれることをきっと全部、全力尽くしてやったんだ。ファンのためじゃなく、自分のためにきっと全力を尽くしたけれど、それは叶わなかった。だからここで一旦全てのことをよいしょと置いて本当のお休みに入るんだ。

 

いつまでだって待てるよ、いつまでも待ってるよと言ったファンのことが重荷になっていたと解釈できる記事があったけれど、絶対にそんなことない。担当のひとたちはそんな言葉に惑わされる必要ない。断じてない。絶対にない。絶対に絶対に日々の力になってた。希望になってた。絶対。

 

どんなに苦しい時も。たった1人でもファンを元気にしたくて笑っていたと思うんだよ。そしてそのファンは、あの笑顔にどれだけ救われただろうと思う。日々の苦しいことからどれだけ助けてもらっていただろう。それはきっとこれからも変わらないけれど。

 

本当の本当にゆっくり、身も心もお休みできる時間と場所で。自分のペースで。誰にも申し訳ないなどと思わなくていいところで。弱くなんかなくて、全然弱くなんかないから。

 

 

今日は朝から表参道を彷徨っている。探し出したいわけじゃない。見つけたいわけじゃない。いないに決まってるし逢えたところでどうにかしたいわけじゃない。だけど。だけど。ここにいたんだよなって。心から楽しんでここを歩いていた日々があったし、きっとこれからそんな日がまたくるよなって。あちこちに思い出が溢れていて。桜と緑がきれいで。

 

 

画面の向こうでいい。

できることなら一目逢いたかった。

声が聴きたかった。

 

だけど、ずっとここにいる。

 

ここから先の険しい道のりで。いろんなもの諦めて犠牲にして自分の人生かけて進んでいく道のりで。もう、場所を空けてくれなくてもいい。ピンクの照明も衣装もなくていい。それでもずっと私のここにいる。だから大丈夫だよ。忘れちゃったんだねとかひどいよ淋しいよなんて絶対に言わないよ。もう大丈夫。もういいよ。みんなが一生懸命守ってくれたその場所は、ちゃんと私たちのところに移動したから。もう大丈夫だよと伝えたい。今までありがとうと伝えたい。

 

 

さくら色の季節に出発を決めたなんて、本当に彼らしい。二度と忘れられない。桜を見るたびに今のこの気持ちを思い出す。私の大切な人たちはみんなこの季節にいってしまう。街中にいろんな色があるこの季節に見送られるひとたちはみんなみんな幸せになるに決まってる。

 

 

泣きすぎてパンパンになった顔と体を引きずって出勤してきた私に、丸一日とうとう一言も話しかけず何も聞かず完全に無視してくれた同僚たちには感謝しかない。ちょっとやそっとの残業は嫌な顔ひとつせずに引き受けます。

 

 

 

 

 

ありがとうはまだ言えない。心も体もまだついていかない。受け入れられない。だけど、少しずつ少しずつ。命をかけて届けてくれたものを大切に大切に抱きしめて生きていくよ。何度も何度も観るし、何度も何度も聴くよ。あたしは。

 

幸せでいてね。どうか。

神様。お願いだよ。お願い。

 

 

鬼滅の刃、始めました。

いつものように乗り遅れたんだ。

いつもそうだ。

紫耀くんの花晴れだって、あまりにもぼんやり観ていたせいで沼落ちに気づくのがだいぶ遅れた。いつだってそう。

 

今回も完全に出遅れた。

なんか絵が怖そうだな…首とかシュパッと飛んでるっぽいしな…でもでも…これだけ人気が出るんだからきっとすごくいいんだろうな…でもでも…これといってここだ!今だ!さぁ!読むんだ!みたいなきっかけもなく…

 

重ねてご存知の通りものすごくめんどくさいタチなのでどうしても譲れないものがあったのだ。

 

「コミックから入りたい」

 

この子の声はどんな声かな…

このセリフどんなふうに喋るのかな…

バックに流れる音楽はどんなかな…

 

ってやるのが大好物なのだ。めんどくさいな。

 

そこからアニメに行って答え合わせしながらなるほど!やっぱり!そうきたか!とやるのが大好物なのだ。めんどくさい。

 

(ちなみにキャプテン翼もワンピースも大好物)

 

(ちなみにバイブルはガラスの仮面とマリンブルーの風に抱かれてとホットロード天使なんかじゃない)

 

周りもじわじわと鬼滅してるし…あたしもここいらで鬼滅するか…映画も大変に大盛況だし…観に行ってみたいな…でも内容知らないで行ってわかるかな…いや…やっぱり映画の前まではコミックで読んでからがいいな…プライムもHuluも観れるけど…でもでも…やっぱりコミック先に読みたいな…よし…ここは大人買いを…大人だし…せっかく大人だし…

 

というわけで近所で1番大きい本屋さんへ。カウンターの後ろに軽く二畳分くらいのこれでもかとでかい看板が作られており、1巻から22巻まで全ての欄にバツがついている。ないですないですよもうひとつもないですよ一冊もないです見てわかりませんか見てわかりますよね声かけないでね聞かないでね鬼滅ないですかって聞かないでね絶対に聞かないでねという鬼も逃げ出すほどの圧力…

 

よし!困った時のメルカリだ!

 

 

論外。

 

なるほど。

 

スタート地点にも立てないのか…

 

絶望感を纏って出社して、上記について同僚たちにコツコツと語り、あたしは鬼滅できなかった…くそ…無念だ…と申しましたところ、心優しき同僚の息子さんが全巻お貸ししますよとお申し出くださったのだ。やった!やったぞ!これでひとまずコミックで映画の前まで読んでアニメ全話観て映画行ってまたその続きをコミックで読むぞ!

 

そして粛々と淡々と、今、そのすべてのミッションを終えた私が言うことはもうほんとそりゃただひとつ。

 

 

とてもとてもよかった。(語彙力)

 

 

おいおい泣いた。吐くほど泣いた。

なんてこった。よもやよもやだ。

コミックもアニメも映画もそれぞれとっても良かった。泣いた。おんおん泣いた。

 

とにかく悲しかった。悲壮感がすごい。

 

たった15歳の男の子がこんなに悲しい運命を背負って、大切な妹の命を背負って、必死に歯を食いしばって立ってる姿見たらおばちゃんもぅ…正直最初はたしかになかなかエグい描写に慣れなくて辛いページもあったけど、ほんとに、そこを乗り越えた先にあるものは美しくて震えるほどだった…。いまだかつて、主人公の男の子がこんなにもホロホロ涙を流して悲しみを表現したマンガあったかな。主人公なのに。ヒーローなのに。決して完全無欠ではないただの男の子がホロホロ泣くんだ。本当なら、本当なら今頃ってこんなはずじゃなかったのにって現実を受け止められずにだけどそれでもやるしかないからやるっていう現実の厳しさに、ぬくぬく暮らしてるおばちゃんはもぅ…一緒に泣いてあげることしかできなかったよぅ…

 

万が一にも私のこの到底よくわからない感想文を目にしてでは私も鬼滅してみるかなどと思ってくれる人がいるかもしれないから詳しく書くのやめる。本当はベラベラ全部しゃべってしまいたいけどやめる。特にどうしてもコミックから入りたいとかいうめんどくさいこだわりがなければ、アニメ観てから是非とも映画館だ!映画館で僕と握手だ!(テンション)

 

人間の悲しさと儚さ、鬼になってしまった後悔と懺悔、自分がどちらの立場になってもおかしくないと思える素晴らしいドラマとバックボーンとで心を鷲掴みにされてしまった。

 

ページをめくるたびに「きーーーぶーーーつーーーじーーーーこんにゃろめーーーー」という気持ちになった。夜道を歩いていて木の影が揺れると鬼がでてくるんじゃないかと怖かった。(鬼は基本的に若い娘さんしか食べないので大丈夫ですでも例外もあるので油断できません)鬼旨ラーメングランプリは完全に鬼滅の刃グランプリに空目した。

 

そんなわけで完全に鬼滅の刃をエンジョイしてしまっているわけだけれども、ジャンプ連載の最終回はまだ観ていません。結末を知りません。最終巻もおそらくはすんなり買えないのでしばらく先にならないと結末にたどり着けないとは思うけど、今はただひたすらに竈門家のおふたりと、お館さまご一家、柱のみなさん、隊士のみなさん、その他のたくさんの登場人物がもれなく報われますように幸せに暮らせますようにと願わずにはいられない。

 

そして私はめんどくさいこだわりを持ちつつも、割と実写化には寛容でして。あーこの役にこの女優はいいね!とてもいい!えーこれはないなぁ全然イメージとちがーう!などと色々言いながらすっごく楽しめちゃうタイプなので、もしも万が一実写化されたりなんかしたらそれはそれは楽しみにウキウキ観てしまうと思う。重ねて、いろんな俳優さんの名前が予想されて記事になったりしてるけど、私の頭の中ではもちろんKing&Prince総出演で実写化されています。

 

光GENJIのふしぎなBABYとか男闘呼組のロックよ静かに流れよとかSMAPのシュートとか嵐のピカンチとか、歴史に名を残す最高の名作たちを知っていますので、アイドルがグループメンバー総出演の作品を残すことに未だほんのり憧れをもっており、今の時代にはちょっぴりダサくても、なんかなんだかんだ青春っぽいものを観たかったりもして。

 

だいぶ脱線したけども。笑

 

紫耀くんが今私にはまだ見えないお仕事一生懸命にしている間に申し訳ないけれどわたくしお暇をいただいて鬼滅の刃に全集中しておりましたが、今夜FNSへのご出演が発表になり、庭ラジにて初解禁されましたので、すこぶるテンションも上がって、血圧もあがって、いよいよKing&PrinceのI promiseモードへ突入いたす。心を燃やすぞ。心を燃やせ。

 

(鬼滅の刃かぶれがひどすぎる)

 

 

鈍感力って大事。

 

ハッピーハロウィン!

 

普段。紫耀くんの悪口もキンプリの悪口も、鼻ほじったり耳ほじったりお尻かいたりしながら、へー!ふーん!そうなんだぁ!大変だわねぇ!って感じで完全スルー決め込んでるので、なーーんにも感じない耐性があるし、せっかく明るくて楽しくてあったかくて平和な場所で仲間たちとわいわいぬくぬくしてるのに、わざわざ暗くてじめじめしてる場所でざわざわぎゃぁぎゃぁやってる人たちのとこまで降りて行ってやって話を聞いてあげるほど暇ではないし優しくないのだあたしは。

 

ただのファン同士の、ただの素人たちのやりとりならまったく無視なんだ。普段は。

 

どんな仕事でも、それは仕事であって、そうゆうところで人を差別したり比べたりするタチではないと思ってる自分のこと。

 

でも。でもさ。

 

例えば。

プロのボクサーとかプロの格闘家の人が自分の武器を使ってケンカして相手を傷つけたりしたならばものすごく批判されるし、そうじゃなくても素人相手にプライドはないのか?などと言われたりもするね。

 

言葉のプロはどう?記者とかライターって呼ばれる人たちって、どう?言葉を武器にして言葉でお金をもらってる人たちってどう?中にはそうじゃない人もたくさんいるかもね。言葉の持ってる力をちゃんと知ってる人はいるかもね。でもたった一言で、相手の今日を、明日を、天国にも地獄にもできる力がある「言葉」を振りかざして嘘か本当かわからないような話を、まるで見てきたみたいな文章を書いて適当な仕事して対価を得ている人ってどう?

 

拳はダメだけど、言葉ならいいの?

尖ってよく切れる言葉でも振り回していいの?

 

どんなにクソみたいな週刊誌でも、なにかしらの存在意義みたいなものがあるんだよね?そうだよね?そうじゃなきゃやってられないよね?と言う気持ち。

 

普段は。普段ならば。絶対に読まないようなネットニュースの記事を何故か!うっかり!私としたことが!!!本当にうっかり!読んでしまったのが間違いだった!!!

 

普段は。普段ならば。

 

こんなのスルーなんだ。いつもみたいに鼻ほじって耳ほじってお尻かきながらへー!ふーん!大変だわねぇ!で済む話なんだけど、今回のコレはどうにもこうにも我慢できない。笑。なぜなら素人じゃないから。プロだから。自称ジャニオタのライターさんがプロとして対価を受け取って書いた記事だから。きちんと名前を出して書いてる記事だから。何も知らないひとが、ふらっと、無料で、簡単に、目にすることができる記事だから。

 

久しぶりに、どうか本人たちが読みませんようにって祈りたくなる記事だった。

 

これだけは言いたいんだけど、決してSnowManが悪いと言ってるわけじゃない。SnowManが褒められてキンプリが貶されてるから怒ってるんじゃない。全然そうじゃない。SnowManSnowMan。キンプリはキンプリ。それ以上でも以下でもない。だから、全然そうゆうことを言ってるんじゃない。その部分を言ってるんじゃない。

 

彼らはプロだから。アイドルとしてプロだから。きっとこんな記事を読んだくらいではなーーんにも感じないかもしれない。敏感に反応するようなことはきっとない。彼らはプロだ。こんなことで落ち込んだり傷ついたりはしない。でも、私は傷ついた。とても。言葉のプロが書いた言葉で、すごく傷ついた。

 

私が、まだプロのファンになれてないだけ。

 

どんなふうに、どんな想いで、あのアルバムを、あのライブを作ってくれたのかを想像したらとてもじゃないけどあんな記事は書けないんじゃないかな。「ジャニオタ」と自分を称するのならなおさら。ジャニーズの男の子たちがどんなふうに今の場所にたどり着いたかを知っているなら、なおさら。

 

2020年。

私たちが描いていた未来図とはまったくもってかけ離れた日々を、どうにかこうにか、なんとかして、クタクタになりながら、みんなみんながんばってやっとのことで歩いてる。お互い思いやる気持ちも余裕もなくなってきて限界感じたりしながらもなんとか歩いてきた。

 

優しい彼らはそのことを受け止めてたくさん考えて、まるっと全部包んで、自分たちのことを応援してきてくれたファンに元気になってもらいたい、笑って欲しい、しあわせな時間を過ごして欲しい、背中をトントンしてあげたいって届けてくれたアルバムとライブなの。

 

キンプリの配信ライブがつまらなかった理由は、

 

新型コロナの感染拡大でアルバムの内容を世界を意識した最先端の楽曲から、身近な人を励ますような内容に変更したから

 

と書かれてる。

 

 

そうゆう理由なら「つまらなかった」でいいやと思う。

 

 

少なくとも私は、励ましてほしかったし励まされたし、生きててよかったとさえ思った。必死にがんばって無事に生きていたからこれを観れたし明日からもまた生きていこうって思った。アルバムの楽曲はひとつ残らず全てが素晴らしくて聴けば聴くほど大好きになって、毎日の生活に寄り添ってくれて時々鼻歌うたったりして、あぁ楽しいなとか、あぁ明日も頑張ろって思って、なんて素晴らしいんだ!King&Princeってなんて素敵なんだろう!って思った。

 

でも。彼らが本当は違うことをやるはずで、やりたくて、でも世の中が変わってしまって、色んなことを考えて私たちのためにこんなふうにしてくれたってわかってるから、つまらなかったと言われたのは私たちファンのせいだ…という想いも消えない。

 

その反面。身近な人を応援したい、励ましたい、励ますことができるアルバムを作ろうって思ってくれたKing&Princeだからこんなに好きで心掴まれて目が離せないんだって。絶対においてかない、一緒に行こう?って言ってくれるKing&Princeが大好きなんだって想いで体中がパンパンになってる。

 

あんなに素敵なものを観せてもらったのに、なぜ、こんな気持ちにならなきゃいけないんだろうか。だれが得してるんだろうか。

 

当然、好き嫌いはあるし、全人類に好きになってもらおうなんて無理な話だってわかってるし、悪口を書かれることもあるでしょう。けれど、今、みんなが元気をなくしてる今この時に、なにもわざわざそんなこと言わなくてもいいじゃないの。SnowManのライブが素晴らしかった!って書いてそれで終わりでよかったよね?SnowManのファンはすごく嬉しいし、じゃあ次のライブは観てみようって、CD買ってみようって思う人が増えてそれでよかったよね?落ち込まなくていい人を落ち込ませずに済んだよね?

 

出版業界についてはまるっきり素人だしなんでそうゆうことが起こるのかは前々から不思議で仕方なかったけど、この記事を載せているのはFRIDAYさん。そのFRIDAYさんは講談社から出版されてる雑誌。

 

ファンが心待ちにしている来年のカレンダーを出してくれる出版社さん。発表されてから、どんな内容かな?カメラマンさんは誰かな?毎日めくるのが楽しみだね!絶対に予約しなくちゃね!ってわくわく心躍る時間をくれた出版社さん。

 

素敵なライターさんが本当に沁みる言葉を操って素晴らしいページをプレゼントしてくれるviviとかwithを出してる出版社さん。

 

どんな想いをしても、買いますよ。もちろん。だってKing&Princeが大好きだから。観たいから。読みたいから。飾りたいから。大切に大切にしたいから。

 

これは本当に好きの搾取。笑。好きだから買いますよ。100円でも200円でもそのライターさんに支払うギャラになるかもしれないと思うと本当なら死んでも買いたくないけど買いますよ。

 

私は、ただただ、単純に紫耀くんが好きでKing&Princeが好きで、ティアラが大好きで、カラッカラに乾ききった日常から離れて、楽しい!嬉しい!幸せ!大好き!愛してる!結婚して!って言ってたいだけなんだ。どこかの誰かが何を言っていてもわざわざ見に行かないし聞きに行かないし、お花畑と言われようがなんと言われようが、私が紫耀くんを好きならそれでいいんだ。何人たりとも邪魔してほしくないし、一緒になって楽しい!嬉しい!幸せ!大好き!愛してる!結婚して!って叫んでくれる人と、叫んでいたいだけなんだ。

 

幸い私にはなんでも聞いてくれる友人たちがいるし。どうしても言いたくなったら、吐き出したくなったら、聞いてくれる人たちがいるから、だからこれからも、ところ構わずだれかれ構わず悪口とかネガティブを垂れ流してシェアしようとは思わないし、そうゆう世界と交わることはないのでもうこんなことの為にブログも使わない。うっかりネットニュースも読まない。笑。

 

紫耀くんやKing&Princeのメンバーにもうっかりネットニュースは是非とも避けていただきたいし、私たちの言葉や声やありがとうが直接届くシステムはやっぱりお手紙しかないので、今まではなんか特別な時にしか書かなかったけど、これからはちょくちょくしっかり読書感想文なみに400字詰め原稿用紙に重めに綴ってポストに入れようかなって思ってる。(迷惑極まりない)

 

私なんかが言わなくてもきっと、伝わって欲しいことはちゃんと伝わってるし、耳に入れたくないことは自分たちで取捨選択してるはず。だってプロだから。プロのアイドルだから。ここまで自分たちで自分の努力で進んできた人たちだから。

 

どうしても、やられたら100倍でやり返したくなってしまう性格ブス女だけど(性格だけじゃない)、私もプロのファンになるって決めた。ますます鼻ほじって耳ほじってお尻かきながら鈍感力をぞんぞん身につけて、紫耀くんにだけ敏感でいたいと思う。

 

それにしてもL&って名盤だと思う。

 

私のライナーノーツ作りたいし、ティアラたちと朝まで討論会やりたい。(何度でも言う)

 

 

自分だけの正義なんだこれは。

 

彼とは同担だった。伊勢佐木町の路上時代からかれこれ20数年。私の人生にはいつも平成フォークデュオの音楽が寄り添っていて、途中からは同担の彼が加わってMVなんかに出ちゃったりしてそれはそれはもう割と強火な同担としていつもいつも気にかけていたし作品はほぼ観ているなぁと思う。悲しそうな笑顔が切なくてでもそこがとてもとても大好きだった。

 

 

この数日間。自死遺族としてはどうしたって置いていかれた方の気持ちにひっぱられてしまう。本人よりも「置いていかれてしまった」と思ってる人の方にひっぱられてしまう。

 

どれだけ時間が経っても。

 

高い建物に登れば「痛くなかったかな。できれば途中で気を失ったりしてくれてたらいいな。最後の感情が 痛い だったら嫌だな。私の顔はチラリとも浮かばなかったのかな。」などと思う。

 

高い建物を見上げれば「今あそこに誰かが立っていたら肺が破れそうになっても階段を駆け上がってその手を握るのにな。」などと思う。どうにかこうにか時間よ戻れと願うしのび太くんみたいにドラえもーんって泣きついて「その時」に戻りたい。戻ってもこの世界に引き止められないかもしれないけれどせめてちゃんとお別れを言いたかった。どれだけ時間が経っても。そう思う。

 

親でも子供でも恋人でも友達でも。

 

もう「本当の事」を知ることはない。どれだけ近い距離にいたって「本当の事」は当人にしかわからない。もう絶対。だからこの先、もう本当の事は絶対にわからない。絶対に。もう聞く事ができない。

 

それなのに。「誹謗中傷に苦しんでいた」「彼女との破局に傷ついていた」「仕事で悩んでいた」などなどと、まるで見てきたみたいな言葉が踊りまくっている。報道されて1時間も経たないうちに追悼動画を作ってる人までいて、それを観た時にあぁこれはまずいなって思ってそっと携帯を置いてもうなにも見なくて済むように自分を遠くに逃してあげた。なかなかいい判断だった。うん。逃げるって大事だ。

 

少し落ち着いたら突然に冷静な自分がいて。

 

「誹謗中傷してる人はもうやめて」

「あなたのせいで彼は死んだのよ」

「事務所は仕事を入れすぎだった」

 

などなどと本当の事を知らない人間たちがよってたかって「正義」という名目で放った言葉がまた別の誰かを追い込んでいることにまったく気づいてないんじゃないだろうか。「みんなにとっての正義」だと思ってることが実は「自分だけの正義」なんだと知らない事がとても恐怖。怖い。

 

もともとめんどくさい人間なので、言葉には人一倍気をつけているけれど、それでも私の言葉が知らないうちにどこかの誰かを傷つけているかもしれないって思いながら生きてるし、大きな声で誰かを責め立てるような事ができるほど立派な大人でもない。私の正義はかなり歪んでいる自覚もある。

 

だからこそ。今回の事だけじゃなくてなにか不満があるとここぞとばかりに張り切って正論振りかざして犯人探しをする人たちはとんでもなく清廉潔白で後ろめたい事がなに一つない人生を生きてきた人たちなんだろうなと思う。(完全な嫌味) 

 

うん。こうやって他人を責めてる事も。これも全部自分だけの正義なんだ。

 

 

 

私が休日に昼まで眠っている間に彼はいってしまったし、デビュー記念日に日付が変わって仲間とワイワイやってる時に若くて優しくて美しい女の子がいってしまったこと、多分ずっと忘れないだろうなと思うし、忘れられないよなと思う。

 

生きてるだけでファンサだし、生きてるだけで奇跡だよなって本気の本気で想うんだ。誰もが鋼のメンタルを備えているわけじゃないし、いつそのスイッチを押してしまうかわからない。アイドル辞めたっていい。どこかで穏やかに朗らかに心許せる人と一緒に健やかに生きてくれてたらそれでいい。2度と逢えなくなったとしても絶対にその方がいい。本気でそう思う。できることならずっと見守っていたいし夢叶えるのを見届けたいけれど、でも、「あぁ。いい天気だな。今日もどこかで紫耀くんは笑って生きているかなぁ。」と思えるなんてそれはそれで本当に最高だなと思う。

 

音楽の日。14時から最後までもう気持ちはすっかり中居くんと安住さんの隣に立っていた。なんなら3人で9時間の生放送をやった感すらある。(途中ジロちゃんに浮気したけど)

 

どのアーティストの歌も全てレクイエムに聴こえていくらでも泣けた。色んな巡り合わせみたいなものまで感じてしまった。顔も体もパンパンになるくらい泣いた。(パンパンはいつもだけど)

 

生田さんのアンダーで出た女の子の上手さにびっくりして、さらにグループでは最後列にいたもんだから層が厚いなすごい乃木坂!などと感動したりした。

 

そして、たくさんのジャニーズたちがこれでもかとガムシャラに何かを届けようと必死になってくれたことが本当に眩しかった。煌めいてた。生きてるなぁって嬉しかった。大切な人との信じられないようなお別れが突然やってきた中で、がんばって笑ってくれたアイドルもがんばったけど笑えなかったアイドルもみんなとても人間臭くてかっこよかった。そして心底。私、アイドルが大好きなんだなぁって思った。ジャニーズが大好きなんだなぁって思った。もちろん「歌って踊ることが好き」というのが前提にあるとしたって、こんなにも誰かのために他人のために届け!届け!届け!って与えてくれる職業を私は他に知らない。

 

今日も今日とて。紫耀くんの事が大好きだった。明日も明後日ももっと紫耀くんの事が好きなんだと知ってる。ついに同僚から陽性者が出て離脱者も出て、人が足りなくて忙しくて、ヲタ活も遠のいて、うっかり心が真っ黒になりそうだけど、がんばる時はがんばる。逃げる時は逃げる。仕事からも家族からもSNSからも。自分の機嫌は自分でとる。自分は自分で優しくする。自分だけの正義も大事にしつつ、でも決して人に押し付けないで想像力だけはしっかり抱えて、元気に笑ってたくさん食べて紫耀くんへの愛を叫びながら生きていく。うん。そうする。

 

 

 

MazyNight大ヒットによせて。(堅いし長いしポエム)

本当はね。

みんなみたいにそれはそれは素敵な動画とか作って大好きとかありがとうとかおめでとうの気持ちを伝えたいけれど残念なことに私にはその技術がない。結局はまた堅くて重たい言葉を粛々と綴るんだ。

 

まずは本当にめでたい。おめでとう。それはそれはもう本当におめでとう。泣いてる。

 

「買って」と言わない彼らに対してティアラたちの気迫というかなんというか。ちょっと鬼気迫るものがあった。私たちにとってもまさかの事態に、私は、今回だけは(だけはっていうのも変だけど)今回だけはしっかりと「売れた」というものが見たかった。「私たちは待ってた」「大丈夫だよ私たちはちゃんと待ってたよ」という事を伝えたかったんだよな。2度にわたる発売延期。主演ドラマの撮影中断と放送延期。十分なプロモーションもできないまま、待ちに待った5枚目シングルの発売を迎えることに、なんていうかナニクソ的な、世の中やらこの状況やらに負けたくなかったというか、毎日ビクビクしながら色んなことに怯えながら、ただでさえこんなにがんばってる彼らとティアラたちががっかりするなんて嫌だったんだ。

 

追うために店頭も2軒行ったけどもうほとんど残ってなかった。特典は終わっていてもらえなかった。笑。週末にMステ観て買いに来る人の為に残してきた初回限定も今日はもうすっかりなかった。すごい。

 

石油王のごとく湯水のようにお金を使える人もなかにはいる。(どうすれば石油王になれるか検索してみたけど石油王はこの世に存在しないらしい)

 

でも、ほとんどの人は一生懸命仕事したり、家事に育児にとがんばったり、節約したり、何かを我慢しながら、少しずつがんばった。決してたっくさん買った人が偉いとかじゃなくて(いや、偉い!すごい!しびれちゃう!) できる範囲の精一杯でがんばった人たちの愛もヒシヒシと感じた。「買って」って言わないけど、彼らはデビューと引き換えに「数字に追われる」ことになってしまったから、私の人生をこんなにハッピーにしてくれた彼らに、微力なのはわかっちゃいるけど、わかっちゃいるんだけど、だけど、喜んで欲しい。私たちも万歳したい。もうほんと、それだけだったよね。だから、なんていうか。力が抜けた。笑。嬉しい。嬉しいよとても。すごいよ。King&Prince。すごい。ティアラもすごい。すごいよ。(語彙力)

 

 

この約半年間は本当に大変な半年間だった。まさに。未曾有の半年間だった。前代未聞の半年間。全員が初体験。今生きてる人間全員が初めての体験。姿が見えない敵と戦って本当に大変だった。

 

今思えば。12月に母を見送れてよかったなぁと思う。いよいよ看取りとなっても病室に入れたし、亡くなった後もしっかりお別れできた。骨も拾えたし葬儀もしっかりできて好きな歌に包まれながらたくさんの人に見送ってもらえた。普通だと思ってたことが普通じゃなくなるなんて想像もしてなかった。ただでさえ。意図せずこんなことになって亡くなった大切な人の手も握れずに、見送ることもできずにお別れしなきゃならなかった人の気持ちは想像を絶する。

 

普通が普通じゃなくなった。

ティアラたちに逢えない。

オタ活ができない。

現場がない。

タピオカ飲みたい。(強火THE ALLEY担)

普通にCDが買えない。

普通にドラマが観れない。

普通が普通じゃない。

もう頭がおかしくなりそうだった。笑。

帝劇のサプライズハピバ会の記憶がどんどん遠のいていく。

 

拡大していくと共にどんどん忙しくなって3月4月はもう記憶がない。いつ感染してもおかしくないし自分はもう保菌者だと思って行動しようと決めたから、母と犬をいっぺんに亡くして1人暮らしになった父とももう4ヶ月逢ってない。ほんと、テレビ電話を開発した人には足向けて寝れない。もう少ししたら完全防備で逢いに行こうかなと思ったりしている。

 

ちょっと熱っぽいなとか咳が出るなとか思い始めたらもう不安で不安でしょうがなかった。前日まで一緒に働いていた同僚が39度の熱を出してPCR検査を受けることになって、どう考えても私、濃厚接触者なのに厚労省の決めた濃厚接触には当たらないとかいう理由で放置された時にはさすがに恐怖で気絶するかと思った。そうこうしてるうちにあれよあれよという間に私も39度の熱が出て実はまるまる1週間自宅待機に。(平熱35度)(もう別世界)

 

母の闘病を3年間見てきたし、それなりには死に対峙してきたけどそれでもやっぱりどこか自分のことじゃなかったんだと今はわかる。こんなにも自分の命の重みをガツンと味わったのは初めてだった。同僚も陰性で私も早々に熱が下がって検査も受けずに復帰したけれどいつもずっと不安がつきまとう。

 

心がどんどん疲れていって体もギシギシ言い出してそりゃそうだよなって。お仕事がお休みで本当に困った人もたくさんいるし、いつもより忙しくなって困った人もたくさんいるし、お家で家族と向き合う時間が増えて大変だった人もたくさんいるし。みんなみんな本当によくがんばった。(誰) まだ終わってないし全然油断はならないけど、ひとまずここまで本当に本当によくがんばった。それぞれの立場と状況はちがうけれど、私は本当にティアラたちに助けてもらった。明るく元気で朗らかでみんなみんな優しい。時々口が悪いけど根っこはみんな優しい。困ったらすぐ助けてくれる。みんな本当に優しい。(久しぶりに逢ったってなっちゃん太った?とは絶対に言わないと思う)(圧)

 

毎日ツイッタランドで繰り広げられるなんてことない平和な会話が大好きだ。そこに私がいなくても仲良しと仲良しの会話をただ眺めてるだけでどれだけ癒されたことか。笑。39度の熱でヒーヒー言ってた時もふわふわしながら眺めてた。笑。

 

そんなふうに過ごしていたらあっという間に6月も半ばに差しかかろうとしている。信じがたい。信じられない。冬だったんだ。確かに冬だったんだ。寒い寒いと言ってたんだ。なぜ今半袖を着ているんだ私は。本当にそんな感じだ。笑。きっとみんなもそうだよなぁ。笑。

 

ひょっとすると、もしかしたら。今年は紫耀くんに逢えないかもしれない。うっすらとそんなことも考えてる。もしもそうだとしたら寂しい。悲しい。無念。

 

だけど。だけど。

 

生きていたらまた必ず逢える。

 

私、この半年で悟りの境地にたどり着いた。色んな言葉を浴びて色んな気持ちになったし、なんか脱皮したというかバージョンアップしたというか。ワンアップした。

 

目の前でMazyNightを歌って踊るKing&Princeに逢える日を楽しみに、ただその日を楽しみに、またみんなでわいわい新幹線に乗れる日を楽しみに、コツコツと生きていけばいいやと思える。

 

彼らの耳に届いたかな。ハーフミリオンの結果とティアラたちのワイワイガヤガヤは届いてるかな。届いてるといいな。喜んでくれてたらいいな。私たちがこんなに嬉しくてこんなに誇らしくてこんなにワクワクしてるの、届いてるといいな。

 

ひたすらに追いかけて、ひたすらに背中を押せる日々が当たり前じゃなくて普通でもなくてなんて素晴らしい世界なんだ!!(セミオトコ)って忘れないでまた明日からまっすぐにオタク街道を突き進もうと思う。

 

紫耀くん。愛してる。

 

さて。牛タン焼こう。

 

 

最後の人。

こんな日にもまた重たくて重たくてどうしようもないこの気持ちを書き殴ってしまうんだ。お誕生日だしいいよね。(いつもやってる)

 

平野紫耀さんという人は顔がいい。

とにかくかっこいい。

そして踊りがすごい。

そして歌がすごい。

語彙力皆無。

平野担は紫耀さんの前でみんなこうなる。

 

 

だがしかし。顔がよくて踊れて歌える人は世界に星の数ほどいる。だけど。星の数ほどいる人たちの誰も平野紫耀さんの代わりにはならない。私にとって、平野紫耀さんは最後の人である。(言い方)

 

人生にはどんなにがんばってもどんなに足掻いてもどんなに抗っても到底太刀打ちできない大ピンチが訪れることがある。努力やがんばりではどうにもならない時がある。歳を重ねれば重ねるほどにそうゆうことがわかってきてそうしたらもう諦めて項垂れるしかないんだけど、なぜか、そうゆう時にこそ必ず助けにやってきてくれる平野紫耀さんという人と出逢ってから、私の毎日は、人生は大きく変わった。もうどうしようもない誰にもどうすることもできない気持ちを紫耀さんが救ってくれる。なんでもない顔していつもどおりニコッと笑ってすっと手を差し伸べてくれる。

 

子供のように愛した大切な愛犬が旅立ってすぐにブラックジャケットの紫耀さんに出逢った。絶望してなんなら一緒に連れて行って欲しいとさえ思う悲しくてたまらない時間の中でふいに訪れたその瞬間。真っ暗な部屋で骨壺抱えて泣き暮らした日々を終わりにしてこっちにおいでよと言った。(厳密には言ってない)

 

初めて紫耀さんの視界に入って手を振る私に優しくゆっくり頷いてくれた紫耀さん。母の余命宣告を受けた2日後だった。2ヶ月か3ヶ月、年を越すのはもう無理ですねと言われた2日後に紫耀さんが穏やかに頷いてくれた。心の中は嵐が吹き荒れて3年間の闘病生活と母と過ごした年月を想ってぐちゃぐちゃだったのに、紫耀さんがよくがんばったねみんなよくがんばってるねあと少しの時間大切に刻むんだよと言った。(これも厳密には言ってない)

 

そして親孝行なんだか親不孝なんだか四十九日の日には帝国劇場でしょうれんハピバ会に立ち会ってそれはそれは幸せな時間を過ごすという奇跡が起きた。あぁお母さん天国に行ってしまうんだなぁ寂しくなるなぁもうそこら辺にいないのかと落ち込んでいたのに、私は大丈夫だよ大好きな友達と大好きな場所で大好きな人たちのお誕生日を祝えたよだからもう大丈夫だよ行っていいよまた逢える日を楽しみにしているよという清々しい気持ちにさえなってしまった。ジャニーさんとうちの母が揃って見守っていた帝国劇場カオス。紫耀さんもケーキくらったクリームだらけの笑顔で大丈夫だよここからまた一緒に歩いて行こうねいつもそばにいるよと言った。(そろそろお気づきだと思うけどこれも言ってない)

 

ちょっとがんばればなんとかなることはもちろん、もう全然がんばってもどうにもならない時にこそ、救ってくれるのが平野紫耀さんなんだ。

 

痛いくらいに人を守りたがる紫耀さん。救って助けたいと思ってくれる紫耀さん。私たちの前にあった瓦礫は全部きれいに片付けてくれたし、もう十分に守ってもらって救ってもらって助けてもらってるのにそのことを伝える術がないことがもどかしくて苦しい。

 

人見知りで人付き合いが下手くそな私に、気の合う仲間ができた。おんなじくらいの温度でKing&Princeの背中を押せる仲間ができた。これが本当にありがたかった。毎日語り合って盛り上がったり泣いたりしながら時間を重ねてきた。みんなTwitterで知り合って初めましてと繋がった人たちだ。今振り返ってみても自分がよくもそんなことできたなと思う。笑。信じられない。オットは誘拐されたら困るからやめておけと言った。笑。本当、昭和生まれの私にとってはSNSで繋がった人と逢うなんて!お茶するなんて!と恐怖に震えながら一歩踏み出したことは称賛する。あの時の私を褒めてあげたい。仲良くしてくれるティアラたちを大切に大切に一緒に紫耀さんを押し上げたい。10年経っても20年経っても杖ついて元気に現場で逢いたい。

 

私たちは紫耀さんにこんなにも与えてもらっているのにお返しできないことが本当に苦しい。私たちは与えられてこんなにも手に入れて満たされているのに。

 

どんなにたくさんお仕事もらってもどんなにたくさんCDが売れても、きっと紫耀さんが本当に欲しいものは手に入らない。

 

その事を想って大人ティアラたちは日々葛藤するんだ。大人だから葛藤する。好きな人が本当に欲しいもの手にして幸せになってもらいたいから葛藤する。ありがとうとごめんねを繰り返す。私たちを幸せにしてくれてありがとうと泣く。紫耀さんは幸せかな満たされているかな深く眠れているかなと想って泣く。私たちが通ってきた歩いてきた人生の1番キラキラした時間だったであろうその時間のほとんど全てをアイドルという職業に捧げて、それでもまだ人を守りたいと言う紫耀さんになにを返せるだろう。

 

紫耀さんは時々、いや、けっこう頻繁に私たちの愛を確かめる。

 

まだ足りないもっと欲しいとか、まだ本気じゃなかったの?とか、ついてきて欲しいとかそばにいてとか離れないでとか、ちょいちょい重めに私たちを試したり束縛したりする。

 

紫耀さんがメンバーとティアラにだけ見せてくれた涙とその言葉たちを全力で受け止めて、渾身の力で、ありったけの想いを込めてただひたすらに応援するしかないんだ、という結論に達する。いつも。もうそれしかできることがないんだから。悲しいけれど。ただただ、大好きだよと応える。ついていくよ!そばにいるよ!離れないよ!と応えるしかないんだ。

 

22歳の紫耀さんが歩いた道をティアラはみんなで見守ったし応援したし心の底から楽しい時間を過ごさせてもらった。23歳の紫耀さんが歩いていく道を少しでも明るく照らせるように私たちも明るく楽しくいつでもポジティブでいたいよ。私たちも周りに流されずに。ただひたすらにKing&Princeの行く道を照らす。背中を押す。

 

23歳の紫耀さんが楽しみだし、33歳の紫耀さんも43歳の紫耀さんも楽しみだ。ずっとずっと見ていたい。見届けたい。

 

平野紫耀さんは私の最後の人。

 

葬儀の時、母が大好きだった飛鳥涼さんの「けれど空は青」という歌で見送った。私も人生の終わりに棺に入って見送られる時には紫耀さんの声が聴こえていたらいいなと思う。紫耀さんの甘くて優しくてなにもかもを包む歌声で見送られたいなと思う。それは幸せだなと。とても幸せだなと。

 

平野紫耀さんは私の最後の人。

どこまでもついていくよ。

 

ありのままでいてね。無理しないでね。がんばらないでね。笑いたくなければ笑わなくていい。本当に楽しい時は盛大に笑って。ありのままでやりたい事をやりたいようにやってね。夢を叶えてね。そしてどうか。いつも幸せでいてね。

 

そして紫耀さんが本当に欲しいものを手に入れる時には絶対に喜びたい。そうさせて欲しい。

 

 

(重い)

(重すぎる)

 

 

#いつになっても

#いくつになっても

#ティアラ楽しもうね